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日頃の出来事

人間95年

去年の夏頃から入院していた僕のお祖父ちゃんが今朝亡くなった。
享年95歳。
特に病気というわけじゃないので、天寿を全うしたんだろう。
事故や事件で亡くなる人も多い中で、寿命でなくなるというのはある種幸せなことだと思ってた。今でも基本的にはそう思うんだけど、去年の秋頃にお見舞いに行った時、お祖父ちゃんが、
「今度はもうダメかもしれない・・・」
って涙を流すのを見た時にちょっと違うかもなって思った。
大往生だったとか、天寿を全うしたから幸せだって思うのは周りの人の勝手だ。人が亡くなった悲しみに対する自己防衛なんじゃないか。悲しみに負けないように少しでも良かったって思えるようにちょっとごまかしてる気がした。
だって95歳まで長生きしようと、寿命であろうと本人がまだ死にたくないって願っている以上は幸せな死であるはずがない。あるのは100%の悲しみだ。
ちょっとした事情で、僕は小さい頃少しの間お祖父ちゃんの家に預けられた。小さい頃は小話をいっぱい聞かせてくれた。僕はお祖父ちゃんが大好きでした。
今日は一日会社で働いたけど、できるだけお祖父ちゃんのことは考えないようにした。考えると辛いから。
退院して家に帰りたいと願っていた大好きだったお祖父ちゃんが亡くなった。寿命でしたとか苦しみませんでしたっていう事情はあんまり慰めにならない。
ただ悲しいだけ。
それで良いと思う。
思いっきり悲しんで、あと10年でも20年でも生きてほしかったって思えば良いんだと思う。
僕はこの悲しい気持ちにまっすぐ向かい合いたい。
そして明日新幹線に乗って、お祖父ちゃんに最後のお別れを告げに行きます。